こんにちは。
わたしスタイルLABOのacoです。
つい最近、「高額療養費制度」の自己負担上限引き上げが議論されていました。
反対の声が多く、結果的には立ち消えとなりましたが、この議論を通じてわたしはあらためて「制度の持続可能性」や「社会保障を支える財源の問題」に思いを巡らせました。
わたし自身、3年前に脳卒中で倒れて入院した際、この高額療養費制度に大きく助けられた当事者のひとりです。7ヶ月間入院していたのですが、この制度のおかげで実際の自己負担額は大幅に軽減されました。
本当に助かったし、ありがたい制度だと身をもって感じたのです。
なので、わたしも安易な引き上げには反対です。高額な治療を受けざるをえない人は、治療を続けられなくなるケースも考えられるからです。
けれど同時に、それを支える財政がいかに厳しいか──「高額療養費制度」の自己負担上限引き上げの議論は、その現実にも目を向けざるを得ませんでした。
限られた財源の中、今ある制度が本当に必要な人のもとに、これからも届き続けていくためには、なにが必要なのか?
そのヒントを探るため、今回はさまざまな公的支援の中でも「最後のセーフティネット」といわれる「生活保護」の現状に目を向けてみたいと思います。
近年は生活保護受給世帯の半数以上が、65歳以上の高齢者世帯となっています。年金額の不足や貯蓄の減少など、就労による自立が難しい層が多くを占めており、制度はすでに高齢者の生活基盤としての役割も担っています。
一方で、現役世代や働く能力のある人が受給を続けるケースも存在し、この層では「逆インセンティブ」と呼ばれる問題が顕在化しています。
この「逆インセンティブ」、つまり「支援が時に自立を妨げてしまう」という側面に焦点を当てながら、制度の利点と副作用、そして今後のあり方についても考えます。
「何もしなくても生活できる」制度の構造的な副作用
たとえば生活保護では、就労が難しい事情がある人に対して、衣食住など最低限の生活が保障され、医療費も保険診療の範囲であれば原則として無料となっています。
これは一見すると、困窮している人にとって安心できる制度のように見えます。
実際、生活保護は病気や失業などで一時的に困窮した人が立ち直るまでの「セーフティネット」として、大切な役割を果たしてきました。
しかし一方で、この制度が「働かないことのほうが得」と感じさせてしまう構造になっていることも否めません。
たとえば、生活保護を受けながらアルバイトをすると、その分だけ保護費が減額される仕組みがあります。
結果として、「少し働いても手取りが増えない」「むしろ損をする」と感じてしまう人も一定数いるようです。
さらに、住民税や医療費などが免除されている状態から抜け出すと、かえって生活が苦しくなるケースもあり、「自立すること」自体がリスクに思えるという声もあります。
生活保護受給者は医療費の自己負担がないため、自己負担を気にせず高度な医療や高額な薬も受けられるという現実もあり、時々SNSでも話題にあがり問題視されています。
もちろん、それによって救われる命があることは否定できませんが、その一方で、わずかに基準を超えて制度の対象から外れてしまった低所得層や、非正規で働く人たちが「医療費が高くて病院に行けない」「必要な薬をあきらめる」といった判断をしていることも事実です。
「働くほど医療から遠ざかる」という構図は、社会的な不公平感や制度への不信を生みやすく、結果として制度に“とどまる”ことを選びたくなる心理的な要因にもつながります。
とくに、20代〜40代などの若い世代にとって、本来ならば社会参加や就労支援などを通じて可能性を広げていけるタイミングで、「今のままでいいや」と制度にとどまる選択をしてしまうと、その先の選択肢が狭まってしまうおそれもあるのです。
「何もしなくても最低限の生活が送れる」ことは、必要な人にとっては大きな支えです。
しかし、支援が長期化すると、自立への意欲や社会とのつながりを失い、孤立や引きこもりにつながる副作用があることも見落とせません。
自立を阻む3つの心理的ハードル
わたし自身、生活保護を受けた経験はありません。
しかし、病気である日突然障害者となり、「守る側」から「守られる側」へと立場が変わったことで、自分が「社会的弱者」である現実に直面しました。
健康なときは、自分が支援を受ける立場になるなど想像すらしていませんでした。けれども、病気にかぎらず誰もが明日突然、制度の利用者になる可能性があります。
日本には生活保護や就労支援など、自立を後押しする制度が整っています。
それでも、制度から抜け出せず、就労に結びつかないケースは少なくありません。
その背景には、次のような心理的ハードルがあると指摘されています。
1.「支援に頼ること」への自己否定感
支援を受けること自体を「情けない」「人として負けたように感じる」と捉えてしまい、自分の存在価値を下げてしまう人がいます。この感情は、社会的スティグマ(偏見や差別)によってさらに強化されることがあります。
2.「抜け出せない安心感」への依存
支援によって生活の最低限が保障されると、「この状態なら食べていけるし医療も受けられる」という安心感が生まれます。しかし、その安心感が変化への挑戦を遠ざけ、結果的に長期的な依存につながることがあります。生活保護利用者の中には、就労収入が保護費を超えないために、働く意欲が低下するケースも指摘されています。
3.「がんばっても報われない」経験の蓄積
過去に働いた経験があっても、「低賃金・不安定雇用・体力的負担の大きさ」などから挫折を繰り返すと、「どうせ頑張っても同じ結果になる」という諦めが強まります。この心理は、制度的な支援よりも「現状維持」を選ぶ理由となってしまいます。
こうした心理的ハードルは、必ずしも個人の性格や努力不足のせいではなく、制度設計や社会構造の影響を強く受けています。自立支援を考える上では、この「心の壁」を理解し、安心して挑戦できる環境づくりが必要です。
制度が“出発点”であるために必要な改革
公的支援は、本来「一時的に立ち止まった人が、もう一度歩き出すための支え」です。
しかし現状では、「制度を使い続けること」が目的化してしまっているケースも。
この傾向は、結果的に制度の持続可能性をも脅かします。
財政的な観点から見ても、以下のようなデータがあります:
今後、増加すると予想される社会保障費を考えると、制度の「出口」設計が急務なのではないでしょうか。
本当に必要な人のために、制度はどうあるべきか?
本当に必要な人が制度を使うことは、当然の権利であり、それらは守られるべきです。
ただ、制度が「守りすぎ」にならないように、以下のような視点も必要です。
- 一定期間ごとの見直しや再評価の導入
- 自立への目標を共有する支援プラン
- 「働ける人」への段階的な支援打ち切りではなく、段階的な縮小とサポートの強化
こうしたステップがないと、「制度に頼りすぎる=自立できない」となり、社会とのつながりが維持しにくくなってしまいます。
支える社会のために、いま見直すべきこと
日本の公的支援制度は、いかなる人も見捨てないために作られた、大切な社会の仕組みです。
しかし同時に、「ずっと守られたまま」で良いのか、という問いかけも忘れてはいけないし、制度自体が「その人らしく生きること」につながっているのかという視点も必要です。
公的支援制度が本来の力を発揮し、誰もが自分の力を活かしながら生きていける社会。
その中で、支え合いは必要です。ただ支える人と支えられる人との認識のズレや、バランスが崩れてしまわないように。持続可能な仕組みを、改めて構築しなくていけない時期なのかもしれないと思います。
次の世代に、負の遺産を残さないためにも。
