こんにちは。
わたしスタイルLABOのacoです。
今日は終活のお話。
そもそもなぜわたしが、50代で終活をするに至ったのか、そのきっかけについてお話したいと思います。
わたしが終活を始めた理由
わたしが終活について意識し始めたのは、今から5年前の2020年の頃。
特別な出来事があったわけではないけれど、シングルマザーだったこともあり、以前から「もし何かあったとき、子どもたちになるべく負担をかけないで済むようにしたい」という思いがありました。
でも、正直なところ、当時は終活についての知識がまったくなく。
エンディングノートの内容を見ても、どうもピンとこない。
(だって当時はまだ40代。しかも健康でピンピンしていましたから…)
そこでまずは必要な知識を習得しようと、「終活アドバイザー」の勉強を始め、翌5月に資格を取得することができました。
終活アドバイザーの学びから見えてきた「本当に大切なこと」
「終活アドバイザー」の勉強内容は意外と幅広く、人生の最終章にまつわることだけでなく、公的制度の仕組み(年金や医療、介護保険など)や財産管理、相続、葬儀やお墓のことまで網羅されていました。
もちろん、自分自身のために学んだのですが、当時は両親も健在で70歳手前。
なるべく若くて元気なうちに、少しでも「終活」について考えてほしいという気持ちもありました。
でも、「終活を考えてみてよ」なんて、子どもの立場からはなかなか言い出しにくいものですよね。
そこで、「自分の終活を始めたから」と話すことで、自然に会話を切り出せるのではないかと思ったのも事実です。
「考えたくないこと」こそ、元気なうちに考えておく
たとえば、どんなお葬式をしてほしいのか。
誰に知らせるのか、誰を呼びたいか、呼びたくないか。
介護が必要になったときにどうしてほしいか。
延命治療をするかどうかの判断をどうするか。
こうしたことって、できれば本人の意思を聞いておきたいですよね。
元気なときは「まだ先のこと」と思ってしまいがちですが、いざというときは突然やってきます。
しかもそうなってからでは、もう本人の意思を確認できないことも多い。
だからこそ、はっきりと意思表示できる「今」、確認しておくことが大事だと思いました。
後々これを実感する出来事が、両親にではなく自分に起きるわけですが…
当時はこのまま意思確認しないで、両親に万一のことが起きたら大変だなと思っていました。
とはいえ、なかなか言い出しにくいことですので、「自分はこうしてほしいんだけど〜」とか「わたしはこう考えてるんだけど…」という形で、まずは自分ごととして話すようにしています。
そうすることで、両親も「自分の時はこうしてね」と決めてくれるので、助かっています。
「断捨離」から始まった、わたしの終活
2021年終活アドバイザーの資格を取り、さらに終活カウンセラーの資格も取得しました。
そのちょうど翌年、2022年1月に引っ越しを予定していたので、断捨離をするタイミングにも恵まれました。
子どもたちが生まれる前から、20年住んでいた家。
収納がたくさんあったこともあり、押し入れやウォークインクローゼットの中には大量の荷物が。
わたしはもともとお片付けが好きな方で、ことあるごとに不用品は処分する方でした。
収納がたくさんあるとはいえ、東京の住宅事情ですからたかが知れています。
それでも次から次ぐへと”不用品”が出てくる出てくる!
大量のゴミ袋に唖然としました。こんなにあったんだ…と。
前の家から引っ越し先は目と鼻の先でしたが、とにかく”いらないもの”を捨てて身軽に。
ミニマリストまではいきませんが、物を増やさない暮らしをしたくて、洋服もサブスクに切り替えました。
半年ほどが経って生活も落ち着き、わたしの終活は本格的にスタートするはずでした。……ところが。
【わたしたちの墓じまい】PRそんなある日──脳卒中で突然、倒れた
忘れもしない、2022年7月6日。
本当に、青天の霹靂とはこのことだと思います。
倒れるその日まで健康そのもの。
風邪すら引かず、体調も良好。
でもある日突然、なんの前兆もなく脳卒中で倒れ、気がついたら、右片麻痺と高次脳機能障害という後遺症が残る、「障害者」になっていました。
入院中、同世代の言語聴覚士さんから、冗談まじりに「終活なんてするから、倒れるのよ〜!」なんて言われましたが、わたしはやっぱり「立つ鳥跡を濁さず」でいたいのです。
もちろん死後のことは、自分ではできませんから、残された誰かに委ねるしかありません。
それでもできる限りはやっておきたい。
人は100%の確率で死にます。
100%です。
それがいつかは誰にもわからないけれど、その日は確実に来る。
だったら、準備しておけることは準備した方がいい。
わたしはそう思っているので、終活はやめません。
「死」は、いつかじゃなくて「明日かもしれない」
わたしが14歳のとき、塾の先生から言われた言葉。
「いつまでも生きてると思うなよ」
その日から、わたしは
「明日死ぬかもしれない。だから今をいっぱい生きよう」
と決めました。
そんなわたしでも、今考えると「死」はどこか現実味のないものだったのです。
でも、脳出血で突然倒れたことで、「明日かもしれない」がまさに現実になりました。
出血箇所が1ミリずれていたら…
人のいない場所で倒れていたら…
搬送先がすぐ決まらなかったら…
あの日で終わっていたかもしれません。
もしそうなっていても、人生に後悔はないですが。
あの日死ななかったからには、今度こそ「終活」をしょう。
そう決めました。
「終活」は、わたしにとって“死の準備”というより、“残された日々をどう生きるか”という問いかけでもあるのです。
こういう最期を迎えたい、は
こういう最期に向けて今をどう生きるか
につながりますから。
ゆっくり、でも確実に。また始めています
退院して3年。
いろいろなことが少しずつ落ち着き、今、また終活に向き合っています。
実家の両親も、5年前にわたしが終活を始めたこと、そして3年前にわたしが倒れたことがきっかけで、意識が変わったようです。
お墓のことお葬式のことなど、次の世代に先送りをするのではなく、きちんと自分たちのことは自分で考え行動してくれています。本当にありがたいです。
わたし自身の終活も、また少しずつ再開しています。
これからは、終活アドバイザーとしての知識だけでなく、実際に病気を経験し、死と向き合った当事者として、自分自身の体験も交えながら、発信していけたらいいなと思っています。
