ゆるふわもスピリチュアルも信じないけれど

こんにちは。わたしスタイルLABOのacoです。

小学生から大学まで、ずっとキリスト教系の学校に通っていました。
でも正直に言うと…神様だけじゃなく仏様もあまり信じていません。

昔から、ゆるふわな引き寄せの法則とか、「願えば叶う」みたいなスピリチュアルな話も、あまり響かないタイプでして。

占いもおみくじも、なんとなくみたり引いたりしたことはありますが、内容もすぐ忘れちゃったり汗

ただ、信仰心はないものの、神社や教会といった「場所」は好きです。
静かで、澄んでいて、心が整うような空気が流れている。
そういう空間に身を置くと、なんとなく澄んだ気持ちになる。

宗教云々というより、「やおよろずの神」という感覚はあります。
あらゆるものには魂が宿るというのが、自分の信条には近しいかも。

また世の中には、人智を超えたチカラがあるとは思っています。
そういったチカラをある人は「神」と呼んだり、ある人は「仏」と呼んだりするのかもしれません。

自分を創る全ての人やものに感謝する心。それは、“信じている”というより、“丁寧に生きたい”という気持ちが近いかもしれません。

「笑う角には福来たる」ってホントだよ

わたしは、特定の宗教に対する信仰心はないけど、
「笑う角には福来たる」だけは、本当だと思っています。

よく、「たられば」で過去を語ったり、
何かあるとすぐ、他人や環境のせいにしたりする人がいます。

もちろん、誰かのせいにしたくなることだってある。
でも、そればかりを繰り返していても、前には進めない。

明るく笑って生きている人のまわりには、やっぱり似たような人が集まってくる。

ほんとそう思います。無理して「ポジティブになれ」ってことじゃなくて、
どんな状況でも「わたしはどうありたいか」を選んでいくこと。

笑っているからって、悩みがないわけじゃありません。
むしろ、笑っている人ほど、いろんなものを抱えていたりする。
でも、だからこそ笑っていたい。

「かわいそうなわたし」を演じたくない

わたしは、かわいそうな自分を周りにアピールするのが苦手です。
だから、助けを求めることも苦手。

「辛いんだよ」
「悲しいんだよ」
「もっとわかって」
そう叫びたいときがないわけじゃない。

でも、わかってくれないことに腹を立てても、何も変わらない。
むしろ、心のエネルギーが削れてしまう。

“わからない”、が当たり前。
あなたはわたしではないし、わたしはあなたではないから。

誰かにわかってもらうことよりも、
自分で自分を整えて、「今日も大丈夫」って思える方が、
自分の心もラクになるはず。

「信じること」と「整えること」は違うけれど

何を信じるか、どんな宗教に寄り添うか、それは人それぞれ。
でも、感謝して生きたいと思う気持ちは、
信仰とはまた別のものとして、わたしの中にちゃんとあります。

朝、洗い立ての空気に触れたとき。
誰かがさりげなくかけてくれた言葉に、ふっと救われたとき。
そんな小さな瞬間に、「ありがとう」と思えるわたしでありたい。

もしかすると、それがわたしにとっての“祈り”なのかもしれません。

わたしは、今日も笑っていたい

辛いことがあっても、泣きたい夜があっても、
わたしはできるだけ笑っていたい。

笑うことは、強がりじゃなくて「選択」です。

自分を責めすぎず、周りのせいにせず、
「それでも、わたしはわたしでいたい」
と思える日々を、静かに積み重ねていきたい。

そして、そんなふうに生きている人たちが、
どこかでこの文章に出会って、少しでも共感してくれたらうれしいです。