朝の家事だけで、すでにぐったり
こんにちは。わたしスタイルLABOのacoです。
朝、6時に目が覚めてシャワーを浴びる。
子どもたちのお弁当を作り、朝ごはんを用意する。
一見、ごく普通の朝の風景です。
でも、それだけでわたしの体はすでにぐったり。
まだ掃除も洗濯も終わっていないのに、気がつけば、3時間も経っている。
「え? たったこれだけで?」と、健常な方は思うかもしれません。
けれど、脳卒中の後遺症とともに生きる身には、これが“日常”です。
日常を左右する「易疲労性」という後遺症
わたしは3年前、脳卒中を経験し、今もその後遺症とともに暮らしています。
片麻痺や高次脳機能障害といった後遺症に加えて、日々悩まされているのが「易疲労性(いひろうせい)」という症状です。
聞き慣れない言葉かもしれませんが、脳疾患患者にとっては毎日を左右する重要な症状のひとつです。
易疲労性とは、わずかな作業や刺激でも強い疲労感を感じてしまう状態のことを言います。
ただの“疲れやすさ”とは異なり、脳がうまく情報処理できず、エネルギーを消耗しやすくなるため、休んでもすぐには回復できません。
少し家事をしただけで、信じられないほどどっと疲れる。
それは、ただの「疲れ」ではなく、“脳が限界”に近づくような疲労感。
しかも、これが1日に何度も繰り返されるのです。
思うように動けない自分に、もどかしさを感じる日々
病前のわたしは、せっかちで、マルチタスクもお手のもの。
朝の家事は1〜2時間でテキパキ終わらせ、自分の身支度まで済ませ、9時には仕事を始める。そんな毎日でした。
でも、今は違います。
段取りよく動こうと思っても、高次脳機能障害の影響でうまくいかない。
前の晩にある程度準備しておいても、当日はそのとおりに動けない。
手足の麻痺も加わって、ひとつひとつの動作に時間がかかる。
気がつけば、掃除や洗濯を終えたころには、もう10時を過ぎている。
そして、そのあとは、脳がどっと疲れてしまうのです。
からだの疲れとは違って、頭がぼんやりし、思考が鈍くなり、目の前のことに集中できない。
これが「脳疲労」とも言われる状態。
“疲れた”という言葉では足りない、言葉にしづらいしんどさが、そこにはああるのです。
「脳疲労」という言葉に感じるモヤモヤ
最近はテレビCMでも「脳疲労に効く○○」なんて言葉を耳にします。
正直、あれを聞くたびに、ちょっとモヤッとします。
「その“脳疲労”と、今のわたしの“脳疲労”は、たぶん別物なんだよなぁ」
そんな気持ちになるのです。
健常な頃に自分が感じていた“脳の疲れ”と、後遺症としての“脳疲労”では、その質も深さもまったく違う。
それを一緒くたに「脳疲労」と言われてしまうと、日常に苦労しているわたしたちの存在が、少しぼやけてしまうような気がするのです。
「今の私」にできることを、少しずつ
とはいえ、誰かを責めたいわけではありません。
ただ、伝えたいのです。
「脳が疲れた」の意味が、人によってこんなにも違うんだ、ということを。
せっかちで、マルチタスクが得意だったわたしの性格は、病気を経ても変わっていません。
でも、それに追いつかない体(脳)とのギャップに、もどかしさを感じる毎日です。
「なんでこんなに時間がかかるの?」
「なんでこれくらいでこんなに疲れるの?」
退院してすぐの頃は、簡単な家事も「タスクの山」のように見えて、大変でした。
「あれもやらなきゃ」「これもやりたい」
欲ばかりが先に立つけれど、頭も体もついてこない。
それでも、麻痺した身体に少しずつ順応してきた今、
「今のわたしのペースで、今のわたしにできることを」
と少しずつではありますが、考えられるようになってきました。
誰かの気づきや安心につながりますように
この記事が、同じように「易疲労性」とともに生きる誰かの気持ちに寄り添えたら。
あるいは、「脳卒中の後遺症って、そんな見えにくいしんどさもあるんだ」と、誰かの理解につながったら。
それが、わたしにとって大きな意味になります。
いまを整えながら、今日もひとつずつ。
できることを、できるだけで。