こんにちは。
わたしスタイルLABOのacoです。
わたしは、脳卒中の後遺症や日々の暮らしについて、日々ブログで発信しています。
その理由の一つは、自分自身が脳卒中という病気になるまで、その怖さをまったく知らなかったから。
祖父も母も脳卒中を経験しているにも関わらず、わたしは自分が脳卒中になるまで、その病気についてほとんど知識がありませんでした。
脳卒中の怖さを知らなかったわたし
この病気の怖さは、昨日まで(わたしの場合は倒れる直前まで)健常者として普通に生活していた人が、ある日突然、命を落とすか、助かったとしても後遺症を抱え、障害者としての人生を余儀なくされる可能性があることです。
「助かってよかったね!」で終わりではありません。
これまで当たり前にできていたことができなくなる。
たとえば、
- 運転すること
- 電車で遠出すること
- 仕事をすること
- スタンディングのライブに行くこと
- 気軽に温泉旅行に行くこと…etc
もっといえば、
- 歩くこと
- 走ること
- 喋ること
- 食べること …etc
そんな動作すらままならなくなるのです。
突然、世界が一変するという現実
もちろん、代替手段を使ったり、工夫を重ねたり、誰かに助けてもらえば、以前と同じようにできることもあります。
でも、「昨日までは”一人でも何も考えずに”できていたこと」が「ある瞬間を境にできなくなる」という世界があるなんて、以前のわたしは想像すらしていませんでした。
祖父はわたしが小学5年生の頃、くも膜下出血で帰らぬ人となりました。
母は脳梗塞を経験しましたが、幸いにも手の痺れという前兆があり、後遺症が残りませんでした。
だから、片麻痺や高次脳機能障害のある人生を送っているのはわたしだけなのです。
それでも伝えたい理由
正直、まだ脳卒中を経験していない人に、この病気の怖さを伝えたところで、どれだけ響くのかはわかりません。
かつてのわたし自身がそうだったように、健康診断で異常もなく、暴飲暴食もせず、普通に暮らしている人にとって、脳卒中は「自分には関係ない遠い話」に思えてしまうからです。
わたし自身、血圧も正常で、家族のために自炊をしながら健康的な生活を送っていました。
それでも、「ある日」は突然やってきた。何の前触れもなく。
知っていれば防げた、という単純な話ではなかったのです。
家系的に脳卒中になる可能性は高いので、50歳を過ぎたら気をつけなくちゃなぁ…と漠然と思っていたところ、49歳と358日で倒れました。
この病気の医学的な所見や、怖さを啓蒙する記事はたくさんあると思います。
ただ、当事者目線でのまとまった情報発信は、なかなか見つけられませんでした。
だからこそ、脳卒中になった人がどんな生活をしているのか、どんな悩みや工夫があるのか、日常のリアルを発信することで、同じ病気に不安を抱える人や、情報を探している誰かの光になりたい。そう思って発信してます。
わたし自身が救われたように。
わたしを支えてくれたブログの存在
わたしは、入院中にある当事者女性のブログを見つけ、とても救われました。
彼女はわたしと年齢も近く、子どももいるフリーランスのライターさん。
突然倒れ、脳出血で右麻痺というわたしとよく似た境遇でした。
発症もわたしのちょうど1年前。彼女のブログを貪るように読んだことを今でも覚えています。入院中の支えになりました。
だからこそ、わたしも自分の経験を発信しようと決め、退院する少し前からブログを書き始めたのです。
「代弁者」にはなれないけど
ただ、その際にいつも心に留めているのは、「わたしは他の誰かの代弁者にはなれない」ということです。
脳卒中の後遺症は人によって本当にさまざまで、同じ診断名でも症状や感じ方、困りごとは千差万別。
たまにメディアで紹介される有名人の「脳卒中経験談」が、あたかも脳卒中患者全体の“スタンダード”のように受け止められることには違和感を覚えます。
わたしはあくまでも「一つの例」として、「脳卒中になるとこんなことが起こることがある」「こんなことが不便に感じる」と、自分自身の経験を伝えるしかないと思っています。
それによって、同じ病気を抱える人が「自分だけじゃない」と思えたり、周りの人が「こういうケースもあるんだ」と理解を深めるきっかけになれば。
そして、わたし一人だけでなく、二人、三人と発信する当事者が少しずつでも増えていけば、脳卒中という病気の多様性や大変さへの理解がもっと広がっていくと信じています。
わたしが願っているのは…
「昨日まで当たり前にできていたことが、今日から突然できなくなる」
そんな現実があることを、広く知ってもらいたい。
そして当事者としての発信が、必要な人に届くよう願っています。
「わたしも頑張ってみよう」と思える力に、わたしの発信がなれたら。
これからも、わたしはわたしの言葉で伝えていけたらいいなと思っています。