何ごとも捉え方次第

こんにちは。わたしスタイルLABOのacoです。

脳卒中を経験してから、良くも悪くもわたしの人生は大きく変わりました。

もちろん病気をしないに越したことはないし、脳卒中になって良かったとは思いません。

でも、ふり返ってみるとわたしは本当にラッキーだったなと思うこともたくさんあります。

わたしが倒れたのは、平日の夕方。
人の多い帰宅ラッシュのホームだったので、すぐに発見され、救急搬送されました。

しかも、仕事帰りだったにもかかわらず、家の最寄り駅で倒れました
そのため搬送されたのは、自宅からほど近い病院だったのです。

また当時はコロナ禍の真っ只中で、救急の受け入れ先が見つからず、搬送先が決まらない人も多かった頃。

2件目で搬送先が決まったのはラッキーだし、搬送先はたまたま回復期リハビリテーション病棟も併設された病院でした。

まさに不幸中の幸い。
そんな偶然が重なって、命が助かり、搬送された病院にも恵まれました。

わたしは
「ツイている」「ラッキーだ」「恵まれている」
—昔からそんなふうに思える“思考のクセ”があります。

足が麻痺して歩けなくなった
字が書けなくなった
車が運転できなくなった…

たしかに不自由なことは増えました。
今も数えきれないほど、さまざまな後遺症と共存しています。

でも、不自由なこと=「不幸」ではありません。

もちろん「幸せ」なことではないけれど、だからと言って「不幸」でもないのです。

起きてしまったことは変えられない。
だからこそ、それをどう捉えて生きるか。

脳卒中に限らず、わたしは昔からそうやって生きてきました。

大きな出来事、例えば病気などによって
人生は変わっても、「生き方」は変わりません。

「アンラッキー」と「不幸」は、思考のクセで分かれる

突然倒れたこと自体は「アンラッキー(運が悪い)」だったのかもしれません。

でも、わたしはそれを「不幸」だったとは思いません。

この2つの言葉、似ているようでまったく意味が違います。

「アンラッキー」はあくまで出来事に対する表面的な評価

「不幸」は、その出来事をどう捉えるかという、内面の思考のクセ=ビリーフに深く関係しています。

同じ入院生活でも、見える世界はまったく違う

同じ病院に入院していても、毎日文句ばかり言っている人もいれば、「早く帰りたい」と嘆いている人もいました。

一方で、わたしは毎日がとてもありがたく感じていました。

子育てや家事から解放されて、リハビリに没頭できる。
目標を持って、メリハリのある生活ができる。
そんな環境に、感謝しかありませんでした。

(もちろん協力してくれる家族の存在があってのことですが…)

こんな贅沢な時間は、退院したら二度と持てないこともわかっていました。

入院中は連日(元旦でさえも!)、1日最大3時間のリハビリが受けられます。
が、退院後のリハビリは、せいぜい週に1〜2回程度。1回の時間も短い。

だからこそ、「今しかないこの時間を思いきり活かす」と決め、1分1秒たりとも無駄にはしたくありませんでした。

しかも、入院中は上げ膳据え膳!
管理栄養士さんが考えた栄養バランスの整った食事つき。

メニューも考えなくていい、買い物も行かなくていい、調理から後片付けまでぜーんぶお任せ。
正直、「最高じゃん!」と思いました笑

ちなみに、病院のごはんも美味しくて、毎食きちんと完食。
しっかり食べて、しっかりリハビリに取り組みましたが、中には「まずい」と言って残す人もいました。

同じ場所にいて、同じごはんを食べて、同じリハビリをしていても、感じ方はまったく違う。

その差は何かといえば——やはり「思考のクセ(ビリーフ)」なのだと思います。

(写真はイメージです)

引き寄せのスパイラル

わたしはリハビリの時間だけでなく、時間外にも自主練に勤しんでいました。

その当時、入院してた病棟の誰よりも自主練していたという自負があります。(療法士さん看護師さんたちに実際言われた)

起きてすぐはじめて、食事が終わればすぐに取りかかり、すれ違う看護師さんには「またやってるの?」と驚かれました。
テレビを見る暇もなかったくらいで、回復期病棟では昼寝もしませんでした。

自主練のメニューも自分から積極的に教えを乞いました。
今の自分に何が足りないのか、最適なのはどんなメニューか。

担当の療法士さん以外にも、その日スポットで入ってくれた療法士さんからもいろいろと聞き出し、実践しました。

おかげで自主練メニューはどんどん増え、起きてから寝るまでメニューをこなす日々でした。

そんな私の姿を見て、療法士さんたちも熱意に応えてくれました。
担当療法士さんはもちろんのこと、担当外のスタッフまでが、「なんとかよくしてあげたい」と、わたしに関わってくれるように。

自分の行動が、周囲の熱量を引き出し、ポジティブなスパイラル=引き寄せが起きました

療法士という仕事を選ぶ人たちなので、元来熱い人が多いのです。
特にわたしが入院していた病院には、勉強熱心で探究心もある療法士さんがたくさん在籍していました。
やる気のある人には、とことん応えてくれる。

おかげで入院生活はとても充実し、今思い出しても楽しかった思い出ばかり。
本当に感謝しかありません。

(写真はイメージです)

わたしのビリーフ=思考のクセ

自己啓発などで「ビリーフ(信念)」という言葉がよく使われますが、
わたしはそれを「思考のクセ」として捉えています。

無意識にいつもそう考えてしまう、ものの見方のパターン。

わたしには、昔からこんなビリーフがあります。
・わたしは周りの「環境」に恵まれている
・わたしは周りの「人」に恵まれている

わたしはラッキーだ」というビリーフ。

このビリーフがあるからこそ、脳卒中という大きな負の出来事に直面しても「不幸だ」と感じなかったし、リハビリ生活の中でも「ありがたい」「恵まれている」と思うことができました。

今も続いているラッキーな出会いの連鎖

今わたしは、退院後もリハビリを続けています。

入院中、退院したらどうするか自分で決めなければなりませんでした。
困っていたところ、同じ病室の患者さんからもらった情報を元に、退院してすぐに外来で別のリハビリ専門病院に通い始めることができました。
通い始めて2年以上が経ちますが、ここでも素晴らしい出会いがありました。

また入院中、自費リハビリも検討していたところ、その日たまたまリハビリに入ってくれたPTさんから、ある施設を紹介されました。
全国から療法士が学びにくるようなところで、そんなすごい先生のリハビリを受けられるなんてほんと自分はラッキーです。

鍼も検討していたところ、たまたまXで同じく脳卒中経験者で鍼灸を検討している人の投稿を目にしました。
鍼灸院は数あれど、脳血管疾患をきちんと見れる人となると限られます。
その人は3つほど候補をすでに挙げていたので、一番近い鍼灸院にすぐ予約したところ大当たり。
元々東洋医学は好きで、鍼灸も何度も受けたことがあるので、腕がいいか悪いかはすぐわかります。

整骨院は今年に入って通い始めたのですが、これも偶然を引き寄せました。
わたしの現状を知った古くからの知人が、同じ片麻痺の人が良くなったのを見て連絡をくれたのです。
なんと7年ほど前に、私が通っていた整骨院でした。灯台下暗し!
腕の良さはもちろん知っているので、すぐに通い始めました。

リハビリ病院
自費リハビリ

整骨院——

最高のスペシャリストに出会えていて、本当にありがたい限りです。

でもきっと、「自分は不幸だ」「恵まれていない」と思い込んでいたら、
どこに通っても、どんな支援を受けても、その良さには気づけなかったでしょう。

結局のところ「どこに通うか」よりも、
「どう捉えるか」「どう向き合うか」。

違いを生むのは、自分の「あり方」なんだと思います。

最後に

脳卒中で障害を負ったことは、不自由ではあるけれど、不幸ではない。
それは、わたしの中にあるビリーフ=「思考のクセ」がそのように捉えている。

「起きたこと」は変えられないけれど、
「どう捉えるか」は、自分で選ぶことができる。

わたしはこれからも、
「ラッキー」を見つける心を忘れずに、「いま」を生きていけたらと思います。