対話のすれ違いから見えてくるもの

こんにちは。
わたしスタイルLABOのacoです。

日常の中で、同じテーマの話をしているはずが、どこか噛み合わない…と感じる。
誰も悪くないけど、モヤモヤしたり違和感だけが残ったり…そんな経験をしたことはありませんか。

モヤモヤの正体。それは、語られている言葉の背後にある「見ている景色」が違うからかもしれません。

同じ話題について語っていても、「社会全体を見ている人」「個人の経験や感覚から語る人」では、焦点がずれてしまうことがあります。

たとえば、ある人が「もっと支え合える社会にしたい」と発信しているのに対し、
「それよりも自分の幸せが優先」と返ってきたら。

どちらも意見としては真っ当だし、悪意はない。
けれども、そこに微妙なズレが生じる――そんな瞬間こそが、対話の分岐点なのかと。

社会の構造と個人の幸福が、ズレるとき

前述のように、社会問題を提議したつもりが、いつのまにか「個人の心のあり方」の話にすり替わっていることがあります。

たとえば、「障害のある人が安心して暮らせる社会をー」という話をしても、
「障害があっても幸せに生きている人だっている」と返されるとか。

たしかにそうなのですが、社会的な“構造の問題”を個人の努力の話にすり替えてしまうのは、どうも違和感を覚えます。

障害に限らず、同じような状況に置かれても「自分は幸せです」という考えは、決して悪いものではありません。

しかし、社会全体の課題として語るときには、それだけでは届かない部分もありますよね。
「主語をデカくするな!」という意見もわかりますし、それぞれの立場で見方が変わるのもわかります。

でも、わたしは社会課題を見て見ぬふりして、自分だけが幸せな社会なんて居心地が悪くて仕方ありません。

もちろん、わたし一人が声を上げたところで、何かが変わるわけじゃないけど、それでも一人一人が黙って見過ごすことで、より状況が悪い方向へ行くことを助長するのは防げるかもしれない。

社会的な課題は、個人の心がけや前向きさだけでは解決しません。
制度、環境、価値観――それらが連動して初めて、人が安心して生きられる仕組みになる

だからこそ、声を上げた人をリスペクトするし、行動がともなっている人はすごいなと思い、純粋に応援したい。

文脈の重さと、伝わらなさの悲しみ

特に当事者または、それに近しい存在として痛みを語るとき、その言葉の奥には「文脈」があります
生きてきた背景、失ったもの、恐れている未来――それらをすべて含んだ言葉だからこその、重みがあるものです。

しかし、その文脈が共有されないまま、ズレた反応をされてしまうと、
まったく別の話にすり替わって、大切にしてきたことが上書きされるような感覚になることがあります。

(そういう話をしているわけじゃないんだけどなあ…)と
提議した内容が正確に「届かなかった」ことへの喪失感と虚しさだけが残り、心底ガッカリすることも。

ちなみに心理学者カール・ロジャーズは、「理解されることこそ、癒しの第一歩」と述べていますが、理解とは同情でも共感でもなく、相手の世界を相手の目で見ること

「相手の世界を相手の目で見る」
忘れがちだけど、大切な視点ですね。

昔コーチングスクールでも、師匠がよく言っていました。
「相手に興味関心を持つんじゃなく、相手の興味関心に興味関心を持つ」と。

その姿勢こそが、真の対話を支える土台なのだと思っています。

「構造と個人のすり替え」が生む見えない分断

社会の問題を語るとき「誰かの心の問題」としてだけ語ると、
本来の論点が見えにくくなってしまうことがあります。

「努力すれば報われる」
「心の持ちようで変わる」

たしかに、それは一面の真実です。
けれど、全員にその前提が許されているわけではありません。

構造的な格差や偏見、制度の不備がある限り、
“努力では超えられない壁”が存在することを忘れてはいけません。

個人の幸福ももちろん大切です。
しかしそれと同時に、他者の尊厳を守る想像力を持つこと。

それが、分断を超えるための第一歩ではないでしょうか。

「排除しない社会」をつくる人たちへ

教育、福祉、地域活動の現場では、
「誰も取り残さない社会」を目指して日々尽力している人たちがいます。
その努力は、数字には表れにくいけれど、確実に社会を支えています。

多様な人が共に生きるということは、
“役に立つかどうか”で人を測らないということ。
経済的な生産性や効率だけでは語れない、人の価値を見つめ直すことです。

「人は、人として存在するだけで、すでに社会の一部である」
この当たり前を、私たちはもう一度思い出す必要があるのかもしれません。

排除しない社会とは、制度や法律の話だけではなく、
日々の会話の中で、他者の痛みに想像力を向けることから始まります。

その小さな意識の積み重ねが、未来のかたちをつくっていくのだと思います。