こんにちは。わたしスタイルLABOのacoです。
先日、1年ほど通っている近所の診療所で、今後の治療については、大きい病院の方がいいと言われました。
えっ、そんな大ごとなの? という戸惑いもあり、なんとかこのままこちらでお願いできないかと食い下がったものの、ダメだった時に二度手間になるからと言われ、結局は近所の大学病院へ紹介状を書いてもらうととに。
数日後、紹介状を受け取り、予約の電話をかけました。
実は、この大学病院に回されたのは半年ぶり2度目。
前回もでしたが、今回も全然予約専用の受付につながらない。
10回かけても20回でも同じ。結果、30回以上かけてようやく繋がったときには、まるで昔のライブチケットの電話予約みたいで、ちょっと笑ってしまいました(実際にはちっとも笑えないけど…)。
正直なところわたしは、「大きな病院にはできるだけ行きたくない派」です。でも、世の中には「大きな病院の方が安心だからいい!」と思っている人が少なくないんですよね。
目次
- 遠くても“大学病院がいい”という人
- 地域包括ケアって何だったんだっけ?
- 医療崩壊の一因は“過剰な安心の追求”かもしれない
- わたしがほしいのは、規模じゃなく“信頼できる関係性”
- 最後に
遠くても“大学病院がいい”という人
今から20年ほど前、子どもがまだ小さかったころ、かかりつけの小児科医から紹介を受けて、近所の大学病院に通っていたことがありました。(この時は必要性があった)
そのとき、診察後の会計待ちのベンチで、たまたま隣に座ったおばあさんと世間話をしていました。
「わたしね、静岡から通ってんのよ」
ええっ? 静岡から!?
と、とても驚いたのを覚えています。
毎月、片道2時間以上かけて来ているそう。
さすがに2時間以上ではないにしても、遠くから時間をかけてきている人も少なくはないのだと思いました。
そのおばあさんは、そこでないと受けられない治療だったのかは分かりませんが、ほしいものは“治療”そのものより、“大きい病院=安心”だったのかもしれません。
地域包括ケアって何だったんだっけ?
わたし自身、脳卒中で倒れ、急性期・回復期を病院で過ごし、退院する際に「今後は近隣のかかりつけ医で」と言われて初めて、「地域包括ケアシステム」という言葉を知りました。
急性期の病院、回復期のリハビリ病院、そして退院後は維持期として地域の医師につなぐ――それぞれの役割を分担しながら、地域で医療と介護と生活を支えていく。そうした“包括的な支え合い”が、本来の理想のかたちですよね。
でも、現実にはどうなんでしょう。患者の不安を支えるはずの地域医療が、本来の役割を果たしているのだろうか?
そんな疑問が湧きました。
かかりつけ医と患者の関係性の希薄さが、大病院信仰につながっている。そんなことはないでしょうか。もちろん地域の医師も忙しいのだとは思いますが…。
海外では家族のように寄り添いながら健康を見守る存在として「ホームドクター」や「ファミリードクター」と呼ばれる医師がいると聞きました。
どんな病気でもまずはその医師に相談し、必要があればその医師が専門医へとつないでくれる。
つまり、“医療の入口”としてだけでなく、継続的な信頼関係で伴走者のような役割を担っている。
それ対して日本では、かかりつけ医はいても、実際には「ただ薬をもらいに行く場所」になっていたり、あるいは「何かあれば、また紹介状を出してもらう場所」になっているだけような…。自分の経験からそう感じました。
今の日本の医療制度は、アクセスのしやすさと引き換えに、本来のつながりを築く機会をどこかで失ってしまっているように感じるのです。
医療崩壊の一因は“過剰な安心の追求”かもしれない
日本の医療がひっ迫していると言われるなかで、本当に必要な人が診てもらえない事態が起きています。その背景には、「誰が診るか」へのこだわりと、「自分が納得できるかどうか」に軸足を置いた受診行動があるように感じます。
本来、地域で完結できるはずの医療が、「大きな病院のほうが安心」という社会的な空気によって、どんどん中央へ、専門機関へと集中していく。
その結果、本当に専門的な治療を必要としている人が、予約すら取れずに待たされてしまう。これは立派な“偏り”であり、見えにくい医療格差でもあると思うのです。
前回大学病院に予約を入れた時は2ヶ月先。今回の予約は1ヶ月先でした。
病院のホームページにも予約が取りづらく、だいぶ先になることもあると書いてあったので、覚悟していましたが。
わたしがほしいのは、規模じゃなく“信頼できる関係性”
医療における安心って、病院の大きさや、医師の肩書きだけで決まるものではないと思うんです。
「この先生がちゃんと向き合ってくれる」
「ここで話を聞いてもらえる」
そう思えるかどうか。
そう感じられる医療者との“関係性”こそが、真の安心につながるはず。
患者がいつも“上”を見上げるような医療ではなくて、同じ目線で、そっと隣にいてくれるような医療であってほしい。そんなふうに思います。
紹介状の“先”にあるのは、本当に必要な医療なのか…
一人ひとりがその問いを持つことも、医療を守るためには必要なのかもしれませんね。
最後に
大学病院なら安心、という“信仰”のような意識も根強くありますが、実際には、すべての人が大きな病院での診察を必要としているわけではありません。病状や生活に応じて、地域医療で十分なケースもたくさんあるはず。
だからこそ、“地域に信頼できるかかりつけ医がいる”ことが本当はとても大事。その医師がきちんと見立て、必要に応じて専門医につなぐ。
そんな仕組みと関係性こそ、地域包括ケアの土台なのでは?
医療の「規模」ではなく、「つながり」と「安心感」。
それを支える“本当の意味でのかかりつけ医制度”が、早急に求められているのかもしれません。