こんにちは。わたしスタイルLABOのacoです。
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久しぶりに開いたInstagramに、思わぬメッセージ

最近はすっかり使っていなかったInstagram。
久しぶりに開いてみると、思いがけないDMが届いていました。

「私とは障害の程度がレベチみたいなので、フォローを外しますね」
……正直、びっくりしました。

記憶にない方だったのでプロフィールを確認すると、相互フォローではあったものの、やり取りはこれが初めて。

わたしはもう1年近く投稿もしていなかったのに、「なぜ?」と…。

わたしがInstagramに載せていた写真とは?

インスタには、主に食べたものや手料理の写真を投稿していました。
元来、食いしん坊なので笑

日常の献立はもちろんのこと、外食で食べたもの、コンビニスイーツなど
障害のことはあまり詳しくは書かず、「食べること」「つくること」を楽しんでいる様子をただシンプルにつづっていました。

そんな投稿を見て、
「この人はしっかり料理ができる。自分とは違う」
と感じたのかもしれません。

でも…
そんな写真1枚1枚の裏には、日々格闘している姿があります。

いくつもの後遺症とともに生きる日々

わたしは、3年前に脳卒中で倒れました。
命は助かったものの、今もたくさんの後遺症とともに生きています。

  • 右半身の麻痺(片麻痺)
  • 視床痛によるしびれや痛み
  • 高次脳機能障害(記憶・注意・遂行障害など)
  • 運動障害と感覚障害
  • 体幹の麻痺、めまい、ふらつき
  • 失語症や構音障害

目に見える障害もあれば、見えない障害もある。
ひとつひとつは目立たないかもしれません。

でも、何かをしようとするたびに、日常の中でそれらが大きな壁になります。

お料理は、できることを一つずつ

写真を見て
「こんなに作れるなんて、大したことないじゃないか」
と感じた人もいたかもしれません。

でも実際は、1品作るのにもすごく時間がかかります。

レシピに書いてある材料が頭に入らず、何度も声に出して確認。
段取りがうまく組めず、行ったり来たりしたり。
途中で「次、何するんだっけ?」と立ち止まることも日常茶飯事です。

夕飯を作るのに、昼すぎから取りかかる日もあります。
半日がかりでようやく食卓が整うことも。

それでも料理を続けているのは、
「子どもたちに美味しいものを食べさせたい」
「障害者になったわたしでもできることがある」
そんな思いがあるから。

何より、料理が好きだから。
食いしん坊だから!につきますが笑

そして、わたしにとって料理は最高のリハビリなのです。

自己防衛のために、他人を下げるということ

今回、わざわざメッセージを送ってきた背景には、その人なりの複雑な想いがあったのかもしれません。

障害の度合いを比べてしまい、落ち込んだのかも。
「自分はこんなに大変なのに」と、つらくなってしまったのかも。

でも、自分を守るために他人を下げるやり方は、やっぱり悲しいなと感じます。

今回の件に限らず、わたしは昔から、「自分の正しさ」を証明するために“じゃない方”を批判するという姿勢が、とても苦手です。

わたしもまた、知らずに誰かを傷つけていたかもしれない

とはいえ、わたしも無意識に誰かを傷つけていたかもしれません。

「がんばってるつもり」でも、
「ただ発信してるだけ」でも、
受け取り方は人それぞれ。

思うようにいかないとき、自分を受け入れられず、他人の存在がまぶしすぎて苦しくなる。
そういう自分にまた自己嫌悪してしまったり。

わたしにも経験があります。

だからこそ、「人と比べないこと」って、本当に大切だなと改めて感じました。

ありのままの自分を受け入れるということ

「障害を受け入れる」って、言葉にすると簡単だけど、実際はとてもむずかしい。それはあきらめとは違うし、無理に前向きになることとも違うので。

ただただ、「今のわたし」をありのまま認めること。
できないことも、もどかしさも、怒りも悲しみも、まるごと受けとめること。

それが少しずつできてくると、
誰かの頑張りをまっすぐ応援できたり、
自分の「できなさ」にも優しくなれる気がします。

今まで人生いろいろあったけど、そうやって生きてきました。
障害に限らず。

これは誰かの人生じゃなくて、間違いなく「わたしの人生」ですから。

「障害は十人十色」だからこそ

障害の程度も、後遺症の出方も、感じ方も、受け止め方も、人それぞれです。

だから、「重い・軽い」と比べてもあまり意味はない。
それぞれの困りごとがあって、
それぞれのペースで、
それぞれの工夫をしながら、生きている。

だからこそ、
「どんな困りごとを抱えているのか」
「何を感じているのか」に目を向けていきたい。

落ち込む日があってもいい。
弱音を吐いてもいい。
泣いても、立ち止まってもいい。

その先に、“いま”の自分にしか見えない景色があって、
それが未来へとつながっていくと信じています。  

おわりに

もし、誰かと比べてつらくなったときは、
相手貶めたり、「いまの自分」を否定したりしないでほしい。

みんなそれぞれ違うからこそ、世界は豊かなんだと思います。

わたしはわたし。
あなたはあなた。

お互いに尊重し、優しくなれる世界。
それでいいのだと、思える世の中でありますように。